2013年06月24日

塔婆供養(施餓鬼会)とは

毎年7月16日、当山では塔婆供養を行います。まもなくその季節がまいります。
施餓鬼会では故人を偲び、その恩に感謝して塔婆を建てるのが習わしとなっています。
塔婆は正しくは「卒塔婆」といいます。この卒塔婆とは、インドの古い言葉サンスクリット語の「ストゥーバ」を漢字に当てた言葉です。それを現在では「塔婆」とよんでいます。元々はインドでお釈迦様のお墓に建てられた塔が塔婆の始まりだとされています。
この塔婆(板塔婆)ですが、よく見ると上部に切り込みがあり、5つの形がつながっています。これは五重塔を簡略化したものであり、お釈迦様の頭、胴、腹、足を意味しているとされています。

塔婆_R.JPG

塔婆を建てるということは、故人が仏様になられたということであり、生きている者の故人への便りであります。仏典にも「塔を建てて供養すべき」とあるように塔婆供養の功徳は計り知れないほど大きいものです。
施餓鬼会には、この功徳の大きい塔婆建立をぜひ実行したいものです。

posted by 鳥居観音 at 14:24| 方丈さんのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月01日

黙(もく 黙っていた方が伝わることもあります) 

黙っていても伝わることがあります。
黙らなければ伝わらないこともあります。
多くの言葉で語っても伝わらないことを、円をもって表現した「一円相」があります。
そして、さらに進んで、今度は「沈黙」をもって真実を表現します。
ただし、沈黙することは語らないことではありません。
「黙」に対して「語」という二次元的な考え方ではないです。
「黙は雷のごとし」というくらい、「黙」の中に「声なき声」を聞くのです。

あなたは何かを伝えたいとき、それが本当に大切なことの時、「黙」して伝えたいことがありますか?
そして「黙」した人の声を聞いていますか?
暮らしの中にとけ込んだら、さしずめ「目は口ほとにものをいい」と思ってください。

なお次回は「一円相」について書きます。
posted by 鳥居観音 at 21:42| 方丈さんのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月01日

水急不渡月(水急にして月を流さず)

これは、いかに水の流れが急で激しくても、月はそんな水に流されることなく、平然と水の上に影を落としているという意味の句です。
この水の激しい流れは、毎日様々な激しい妄想や欲望に悩まされている私たちの心です。
しかしそれにもまったく動じない月の姿は、私たちが持っている本来の自己、すなわち仏性のことです。
そのため、この句は、私たちが持っている本来の自己・仏性は、つねに不動で揺るぎないものである、ということを示したものです。

そこで求められるものは、日々に生じている雑念や喜怒哀楽といった感情というものを、本来の自己というもう一人の自分から見つめて、いかに自由に扱っていくかということでしょう。
雑念や喜怒哀楽といった感情に流されないためには、どんな激流であっても流されることのない月、すなわち私たちが持っている不動の心を求めて、そこに立脚することが必要です。
posted by 鳥居観音 at 21:04| 方丈さんのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする