出品物は「蒋介石の書」です。
「無量壽者(むりょうじゅしゃ)」と読み、「限りない命を持つ者」という意味です。
もともと「無量壽仏」という言葉があり、「無量壽仏」とは阿弥陀如来のことをさします。
阿弥陀如来の梵名アミターバ(無限の命を持つ者)の漢訳であるとされています。
水野梅暁氏は仏教徒として大陸を駆け巡り、玄奘三蔵法師の霊骨が発見されるや日本仏教徒を代表して蒋介石から玄奘三蔵法師の霊骨を分贈され、その霊骨塔を建立することこそが日中仏教の親善に繋がり、またそれが悲願であると晩年を奔走されました。
蒋介石は水野梅暁氏の意志は、今後も無限の命をもつものとして後世に残るであろうと感銘し、「無量壽仏」(阿弥陀如来のこと)になぞらえ、水野梅暁氏に、敬愛の念をこめて「無量壽者」という書を贈ったとされています。
本人評価額を大きく上回り、栄誉ある鑑定結果をいただきました。
職員一同心よりありがたく感謝申し上げます。
この書は「鳥居文庫」に展示しております。
文庫拝観については、お手数ですが鳥居観音寺務所(水曜定休 042-979-0666)までお問合せください。
文庫の拝観について詳細が決まり次第、ブログ等でご案内させていただきます。
出品させていただいた「蒋介石の書」について、ご興味ある方もいらっしゃると思いますので少し長くなりますが簡単に説明させていただきます。
この書は蒋介石が(1887-1975 中国政治家、軍人)が水野梅暁(1877-1949 曹洞宗開教師)に友人である証として親しみを込めて贈った書であります。
この水野梅暁氏について、さらに鳥居観音との由縁について触れさせていただきます。
(鳥居文庫内の説明より)
水野梅暁(1877−1949)とは
明治時代に愛知大学の前身である上海東亜同文書院に学び、後に曹洞宗開教師になり、湖南省長沙にて僧学堂 『雲鶴軒』 を開設し、文人墨客と交わり布教に従事した。
その後、浄土真宗本願寺の大谷光瑞師と師弟関係を結び、日中仏教徒の親善交流に力を注ぐ。
辛亥革命においては本願寺の派遣した救護団の先頭に立ち、いち早く野戦病院を設立し避難民の救済にあたり、孫文・蒋介石といった革命派の人物や清朝最後の皇帝、溥儀などの中国要人との交流は想像がつかない程ひろいものであった。
また中国に精通している点では当時随一といわれ、雑誌「支那時事」を主宰、大正13年「支那時報」を創刊するなどジャーナリストとしての側面も併せ持っていた。
その後、東京で東亜仏教大会をひらくなど、日中の仏教交流に尽力。また満州国建国に伴い設立された日満文化協会理事に就任された。
晩年には、昭和17年 南京で発見された玄奘三蔵法師の霊骨を日本仏教徒を代表して中国国民政府から分贈され日本にもたらし、その霊骨塔建設こそ自らに負わされた使命として活動を行った。
鳥居観音と水野梅暁禅師
鳥居観音と水野禅師との交流の始まりは、水野禅師が病気の静養地として、鳥居観音の開祖平沼彌太郎宅を訪れたことに始まる。
仏教を通じての両氏の交流は深く、水野禅師は 『玄奘三蔵法師を祀る霊骨塔は日本に一箇所でも多く建立されることが仏教界のためによい 』といわれ観音信仰の聖地 鳥居観音に霊骨を分骨したのである。
かくして玄奘三蔵法師の霊骨は鳥居観音にむかえられ、三蔵塔建立の縁起になり、現在に至る。
三蔵塔の霊骨を慰めることは水野禅師の遺志であり、ひいては日中文化の交流にあずかるところがおおきいものである。
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